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日本語文型語彙の使い分け

「いいです」

日本語文型
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「いいです」

 

私はボンビーですので、スーパーやコンビニで買い物をするときは必ずマイバックを持参しています。

 

レジ袋は1枚3円~5円程度ですが、ただ、それが積もり積もれば結構な額になってしまいます。

 

ですから、私は店員さんに「レジ袋は要りますか」と聞かれたとき、「いいです」とか「結構です」とか「大丈夫です」などと言います。ボンビーかどうかはさておき、多くの日本人がレジ袋が要らないときはこんな言い方をしているのではないかと思います。

 

ただ、これらの言い方は外国人にとってはとても紛らわしいようです。なぜなら、これらの言い方はイントネーション次第で「YES」にもなったり「NO」にもなったりする不思議な言い方だからです。

 

こちらのインドネシア人留学生は日本人のこの言い方について、スピーチしています。日本人の知らない日本語ではないですが、外国人に指摘されて初めて日本語や日本の文化の不思議に気づかされることが多々あります。ですので、外国人のこういう日本語スピーチを聞くのはとても面白く、とても勉強になります。

 

なぜ「いいです」「結構です」「大丈夫です」に「NO」という否定的ニュアンスが生まれ、これほどまでに日本人の間に浸透してしまったのでしょうか。

 

その理由はおそらく日本語は省略を好む言語だからだと思います。日本語はよく主語を省略しますし、また、コンビニ、ポテチ、パトカーなどのように単語もよく省略します。

 

やはり言葉が長いと言いにくいですし、言うのにも労力を使ってしまいます。つまり、日本語は言葉の経済性を重視する言語のために、このように省略が多く行われるのではないかと思います。

 

実際、NOのニュアンスの「いいです」「結構です」「大丈夫です」も「(レジ袋に入れなくても)いいです」「(レジ袋に入れなくても)結構です」「(レジ袋に入れなくても)大丈夫です」が省略された形で使われるようになったのではないかと思います。

 

そのせいで、外国人にとっては省略された形のNOのニュアンスがある「いいです」「結構です」「大丈夫です」とOKの「いいです」「結構です」「大丈夫です」の区別がつかなくなり、非常に曖昧で分かりにくい言葉になってしまったのではないかと思います。つまり、省略したことにより言葉の経済性というメリットが生まれた一方で、言葉の曖昧性というデメリットが生まれてしまったと言えます。

 

また、こちらの留学生が述べているように日本人ははっきり物事を言わない国民性です。その理由は日本人が相手を思いやる国民性というのもあると思いますが、その他に日本が単一民族国家だからというのも強く関係していると思います。

 

日本は同じ民族しかいないので、日本人みんなが同じ文化的背景で育ってきたために、言葉で相手にはっきり伝えなくても、以心伝心で伝わりやすいのではないかと思います。つまり、お互いがお互いの気持ちを察することでコミュニケーションを図ることができてしまうのです。

 

これは日本人がすべて同じ民族で同じ文化的背景で育ってきたためにできることであり、日本独特の察しの文化、空気を読む文化と言われるものです。日本語が言葉を省略することが多かったり、曖昧な表現が多かったりするのものこのことが強く関係しているのではないかと思います。つまり、言葉を省略したり、曖昧な表現を使ったとしても日本人はそれを察することにより理解できてしまうのです。

 

一方、アメリカや中国は多民族国家ですので、1つの国とは言えど、いろいろな民族がいて、それぞれ文化的背景も違います。ですので、日本のようにお互いの察しに頼ることはできません。そのため、はっきり言葉で言わないと、相手に伝わらないため、はっきり物事を言わざるを得ないのではないかと思います。そのため、英語や中国語には主語の省略がなく、また曖昧な表現もないのではないかと思います。

 

日本語を教えるときは日本語を教えるだけではなく、このような日本の文化的な背景も教える必要があるのではないかと思います。言葉が文化的な背景を作っているのではなく、文化的背景が言葉を作っているということを。日本語の敬語もまた然りです。

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