格助詞「が」の「主体」と「対象」の見分け方
格助詞の「が」には主に「主体」と「対象」の用法があります。
①中国人がいます。
②中国人が好きです。
①の文の「が」は主体の「が」、②の文の「が」は対象の「が」です。主体の「が」なのか、対象の「が」なのかの見分け方があります。
それは文頭に(私が)を付けてみることです。
①(私が)中国人がいます。
②(私が)中国人が好きです。
(私が)が付けられる場合は対象の「が」で、付けられない場合は主体の「が」です。
①の文は(私が)が付けられないので、主体の「が」になります。つまり、中国人がの「が」が主体の「が」なので、この文にさらに主体の(私が)の「が」を付けてしまうと、主体が2つになってしまうので、非文になってしまいます。
②の文は(私が)が付けられるので、対象の「が」です。対象の「が」の前には主体の「が」を付けても非文になりません。なぜなら、主体がないからです。つまり、この文の場合は「誰が中国人が好きか」というと主体である「私」であり、私が好きな対象は何かというと「中国人」ということになります。
対象の「が」であるかどうかを判断する方法はもう1つあります。それは述語を動詞に変えてみることです。「好き」は形容動詞です。これを動詞に言い換えると、「好む」があります。
「好む」は他動詞ですので、「~を好む」の形を取ります。他動詞の場合は目的語が必要になります。その目的語に当たるものが対象になります。
②の文は「中国人を好む」と言い換えられますので、中国人が好きだの「が」は対象の「が」であることがわかります。つまり、「が」にはこの「を」に当たる働きがあります。ですから、後ろの述語を他動詞に変えて、「が」を「を」に変えても問題がなければ、その「が」は対象の「が」であると判断することができます。
③招聘状が欲しいです
③の文も(私が)招聘状が欲しいと、(私が)を付けることができますので、対象の「が」になります。また、述語の「欲しい」を動詞に変えると、「欲する」になり、「招聘状を欲する」とすることもできますので、この「が」は対象の「が」であることがわかります。
