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「ろ」(授業面)

学生から言われて嬉しかった言葉

「ろ」(授業面)
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学生から言われて嬉しかった言葉

 

日本語教師をしていると、やはり学生からの評判がとても気になるものです。特に中国の大学では学期ごとに学生による教師への評価があるからです。大学によってはこの評価が何%以下になってしまうと、首を切られてしまうこともあります。

 

最近の私は日本語教師として化石化し始めてきているので、学生から嬉しい言葉を言われることが皆無になってきてしまいましたが、以前の私は何回か学生から嬉しい一言を言われ、それが糧となり、頑張ることができたこともあります。

 

今までで学生から言われて一番嬉しかった言葉はやはり「先生の授業を受けて、日本語が好きになりました」です。教師冥利に尽きました。この言葉は学生に直接面と向かって言われたわけではないのですが、その大学での任期を終えたときに、学生からもらったお別れの手紙に書かれていました。

 

今でもその手紙を大切に持っています。授業が上手くできず、落ち込みそうになったときに、よく見返していて、この手紙が私のお守りになってくれています。

 

ただ、最近の私は日本語教師として化石化し始めているので、「先生の授業を受けて、日本語がもっと嫌いになりました」と心の中で思っている学生が多くなってきたような気がします。

 

やはり人間、慣れは怖いものですね。慣れてくると、全然努力しなくなってしまうからです。私が日本語教師に成り立ての頃は「どうしたらわかりやすく教えられるのか」とか「どうしたら学生と上手くコミュニケーションが取れるのか」とよく考えていたものですが、今はあのときの初心を完全に忘れてしまい、「どうやって楽をしようか」とか「どうやって自分の時間を多くもとうか」とかばかり考えるようになってしまいました。

 

「先生の授業を受けて、日本語が好きになりました」の言葉以外では「私たちのような日本語ができない学生にとっては先生の教え方はいいです」と言われたこともあります。これは学生に直接面と向かって言われた言葉です。このときも学生のために一生懸命あれこれ考えながら、教えてきたことが報われたと思えた瞬間でした。

 

昔は大学の会話の授業は週2回とかあったのですが、最近は会話力が重視されなくなってきているためなのか、会話の授業が週1回しか受け持てなくなることが多くなってきました。その理由はおそらく日本語能力試験の合格を重視している大学が増えてきたためだと思います。

 

1学期は18~19週しかありませんので、やはり18回、19回で教えられることはとても限られてしまいますし、また丁寧に教えている時間もなくなってしまいます。ここが大学で教える日本語教師の難しいところでもあります。

 

一方、中国人の先生が担当することが多い、文法の授業はほぼ毎日ありますので、教科書がどんどん進んでいきます。ですから、その限られた時間の中で自分のペースで教科書の内容を教えていると、その先生との間に進度的な問題が起こってしまいます。

 

そのため、自分の教える教科書の内容が簡単すぎて、学生たちが飽きてしまうときが多々あります。学生たちにとってはそれはもうすでに習って、使えるよという感じなのでしょう。とはいうものの、基礎は大事なので、何回も何回も繰り返すことは必要だとは思うのですが。

 

授業以外のことで言われて嬉しかった言葉は「先生はとても接しやすいので、とても打ち解けやすいです」です。私は誰に対しても公平に接するように努力していますので、特に大人しい学生や日本語が上手ではない学生にとっては接しやすいようです。

 

そのためか、以前は学生からよく誘われて一緒に遊びにいったものです。ある大学にいたときは1年に3回も学生の故郷に泊まりにいったことがあります。しかも3人とも女子学生の故郷でした。ただ、ここ最近はそんな機会はめっきり減ってしまいましたが。今と昔では学生の人情味が変わってきたのかもしれません。昔は物質的豊かさではなく、精神的な豊かさに満ち溢れていましたので。

 

初心忘れるべからずという言葉がありますので、今後は改めて初心に戻って、日本語教師として、成長していけたらなと思います。

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