犬食文化
先日学生に「日本人は犬肉を食べますか」と質問されました。この学生は朝鮮族の学生なので、私にこんな質問をしたのだと思うのですが。
中国は現在空前のペットブームで愛犬家も増えてきているようなのですが、それでもまだ犬肉を食する地域もあります。特に犬食で有名なのは広西チワン族自治区の玉林市です。
玉林市では今年も犬肉祭りが開催されるようです。
犬肉を食べると精力が付くため、夏バテ防止にとても効果があるようです。
玉林市には生きた犬をその場で殺して、新鮮な犬肉を売るお店もあるようです。私は鶏の现杀现卖のお店は見たことがあるのですが、さすがにまだ犬の现杀现卖のお店は見たことがありません。
中国では犬食が盛んではない地域でも、犬肉のお店がちらほらあります。おそらく犬肉を食する地域出身の出稼ぎ労働者たちに、故郷の味を提供するために、犬肉を食する故郷の人たちがお店を出しているのではないかと思います。
私も犬食地域から来た学生たちの気持ちを慮るために、授業で形容詞の逆接の文型である「~ですが、~」を教えるとき、「犬は可愛いですが、美味しいです」という例文をよく提示しています(笑)。ただ、この例文は「美味しい」が「マイナスの意味の形容詞」になってしまうため、例文としては相応しくないのですが、学生へのインパクトはとてもあります。
中国の故事成語に「羊頭狗肉」というのがありますので、中国では昔から犬肉が身近な存在であったことが窺えます。また、この故事成語の意味から犬肉はあまり美味しくないということも窺えてしまいますが。
私は愛犬家なので、犬肉は一度も食べたことがありません。ただ、私は犬肉を食べることについて、反対はできません。なぜなら、その国や地域には昔から受け継がれてきた食文化というものがありますので、その食文化の伝統を守っていくこと、そして、それを尊重することも大切だと思うからです。
それから、私は犬肉は食べませんが、牛肉、豚肉、鶏肉はよく食べていますので、「犬肉を食べることには反対だ」と言っても、説得力に欠けてしまうからです。
ですから、私は日本人が「犬肉を食べるのは野蛮な行為だから、今すぐやめるべきだ」と主張するのはただの日本人の価値観の押し付けであり、それは自文化中心主義的な考え方だと思います。そもそも日本では闘犬が行われていますし、闘犬の練習相手として咬ませ犬も存在しますので、それを考えると、日本人が犬肉についてあれこれ言える立場にはないのです。
ただ、私は中国の犬肉に関しては人様のペットである犬を盗んで、殺したものも多く流通している現状と、食用の犬であっても犬の肉の味を美味しくするために、犬に恐怖を与えて殺している現状には大反対です。
私は玉林ではないのですが、犬肉が食されている地域に行ったことがあります。その地域では犬を見掛けたら、捕まえて殺して、その肉を売るのが当たり前になっているのか、犬の凄まじい鳴き声が響き渡っていました。私はその鳴き声を聞いて、トラウマになってしまいました。
鯨食文化
日本人は犬肉は食べませんが、鯨肉は食べています。そのせいで、世界中から日本人は野蛮であると非難を浴びていますが、鯨肉も日本の伝統的な食文化ですから、他の国があれこれ言うべきではなく、他の国も文化相対主義的な立場から日本の鯨食文化を尊重すべきだと思います。なぜなら、その国や地域にはその国や地域なりの文化的事情があるからです。
日本は国土が狭いですし、しかも国土のほとんどが山がちなため、昔から食料自給率がとても低かったです。しかしながら、日本は周りは海に囲まれていますので、その利点を生かして、日本では昔から捕鯨が行われていました。あれだけ体が大きい鯨ですから、1頭の鯨が獲れれば、たくさんの人の胃袋を満たすことができました。
ですから、鯨肉は日本人にとっては貴重なタンパク源でした。もし鯨肉を食べなければ、日本人の多くが餓死していたのではないかと思います。
日本語教師は日本語を教えるだけではなく、このような日本の文化的な事情や背景なども教える必要があると思います。それがきっかけとなって、学生たちは異文化理解について、よく理解できるようになります。
ただ、日本の捕鯨もこのように残酷なのですが。これだけ大きな鯨を捕まえるためには、残酷な手段を取らざるをえないことは想像に難くありません。
日本の文化を教えるときは良い面だけではなく、悪い面や問題点などについても合わせて語る必要があると思います。
犬肉や鯨肉などの食文化について、ディベートの授業か作文の授業で一度テーマとして取り上げると良いと思います。
そうすれば、日本語で自分の意見を論理的に主張できる力を身に付けさせることができるでだけではなく、異文化について考えることによって、異文化理解にもつながります。更にはいろいろな人の意見を聞くことで、物事をいろいろな視点から見たり、考えたりできるようにもなります。
人間は食物連鎖の頂点に立っているので、日常生活ではあまり感じませんが、人間以外の生き物にとっては、この世はまさしく弱肉強食の世界です。毎日食うか食われるか、食えるか食えないかの厳しい中で生きています。神様はなんと残酷な世界を作り上げたのでしょうか。
こう考えてみると、私たち人間は食物連鎖の頂点にいる生きる生き物として、生まれて良かったなとつくづく思います。ただ、今は新型コロナウィルスというウィルスが食物連鎖の頂点に立とうとしていますが。やはり新たなウィルスの出現は人類にとってとても脅威だと改めて感じます。