日本人教師の存在意義がないと感じる時
私は中国の大学で働いていて、時々、日本人教師としての存在意義がないなと感じるときがあります。おそらく、これは私だけではなく、おそらく他の日本人教師の方も同じように感じているのではないかと思います。
それはどんな時かと言いますと、
①授業が始まる前や終わった後、休み時間に話し掛けてくれない時
せっかく日本人教師がいるのに、授業が始まる前や授業が終わった後、休み時間に話し掛けてくれないときに、私の存在意義っていったい何なんだろうと思ってしまいます。
そんなときは虚しくなるばかりですので、自分から話しかけまくるようにしています(笑)。ただ、授業が始まる前や授業が終わった後は「おはようございます」とか「さようなら」などの挨拶はもちろんしてくれてはいるのですが。しかし、それだけではなんだか物足りないなと感じてしまっている自分がいます。
②クラスの行事に誘ってくれない時
せっかく日本人教師がいるのに、クラスの行事に誘ってくれないときに、私の存在意義はいったい何なんだろうと思ってしまいます。
特に、SNSで学生たちが楽しそうにしている様子を見ると、私も誘ってほしかったなと思ってしまいます(笑)。なぜなら、授業以外で学生と交流できる機会はとても少ないからです。
ですから、せめて1年に1回ぐらいは誘ってほしいものです。「あなたが誘われるに値する先生ならば、自ずと誘われるでしょう。」という神様の声が聞こえてきそうですが(笑)
③キャンパス内で見掛けても声を掛けてくれない時
キャンパス内で、学生が私を見掛けても、声を掛けてくれず、下を向いて通り過ぎていってしまったときに、私の存在意義はいったい何なんだろうと思ってしまいます。
そんな時も虚しくなるばかりですので、めげずにこちらから声を掛けるようにしています(笑)
④日本語コーナーに来てくれない時
せかっく日本語コーナーという日本人と交流できる貴重な機会が設けられているのに、学生たちが来てくれないときに、私の存在意義っていったい何なんだろうと思ってしまいます。
学生たちが忙しいのは分かりますが、週にたったの1時間ぐらいですから、出不精にならず、自分の会話力や聴解力アップ、そして、何よりも自分の将来のために是非参加してもらいたいものです。
⑤写真撮影や花束贈呈などをしてくれない時
別に見返りを期待しているわけではないのですが、最後の授業のときに、中国人の先生には写真撮影や花束贈呈などがあるのに、自分にはない時は自分の存在意義っていったい何なんだろうと思ってしまいます。
特にSNSにその時の写真がアップされているのを見たとき、自分の不甲斐なさを感じてしまうとともに、SNSを見なければ良かったと思ってしまいます(笑)
ただ、日本人教師の場合は週に多くて1、2回の授業ですので、毎日教えている中国人の先生と比べたら、それは仕方がないことだと思ってはいるのですが。
こちらも「あなたが歓迎されるに値する先生ならば、自ずと歓迎されるでしょう。」という神様の声が聞こえてきそうですが(笑)
⑥同僚の日本人教師の話ばかりされる時
こちらは番外編なのですが、「○○先生は~」といつも別の日本人の先生の話題ばかり上がり、自分の話題が全然上がらないときに、自分の存在意義はいったい何なんだろうと思ってしまいます(笑)
以上はきっと私が接しにくいタイプの教師だということが原因にあると思いますので、今後はこの点を克服して、是非学生たちから慕われる教師になりたいと思う今日この頃です。
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