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中国語にはない日本語の表現

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行ってきます/行ってらっしゃ

日本では出掛けるとき、家を出る人が「行ってきます」、家にいる人が「行ってらっしゃい」と言いますが、中国では、このような言葉を言う習慣がありません。

そのため、これらの言葉を中国語に翻訳することができませんので、これらの言葉を言っているドラマなどでの実際の場面を見せると良いです。特に、新婚夫婦が「行ってきます」「行ってらっしゃい」と言って、キスをしている場面を見せると、イメージが付きやすいと思います(笑)

あえて中国語に翻訳すると、「行ってきます」は「我走了」、「行ってらっしゃい」は「慢走」と言います。ただ、この言葉は中国では、家でない場面で使われます。例えば、授業が終わった後、友達に「我走了」と言って先に帰ったり、お店でご飯を食べ終わって帰る時、店員さんがよく「慢走」と言います。

この場合、「我走了」は「私は帰ります」という意味、「慢走」は「お気を付けて」という意味になります。ですから、日本語の「行ってきます」「行ってらっしゃい」は、使われる場面が限定的であるという説明を加える必要があります。

ですから、授業が終わった後、友達に「行ってきます」というのは変だし、お店の店員さんが「行ってらっしゃい」というのも変だということを力説する必要があります(笑)

ただいま/お帰りなさい

日本では家に帰って来たとき、家に帰って来た人が「ただいま」、家にいる人が「お帰りなさい」と言いますが、中国では、このような言葉も言う習慣がありません。

そのため、これらの言葉を中国語に翻訳することができませんので、クレヨンしんちゃんで実際にこれらの言葉を言っている場面を見せると良いです。ただ、しんちゃんは「ただいま」と「お帰り」を逆に言っているので、学生を混乱させてしまうかもしれませんが(笑)

あえて中国語に翻訳すると、「ただいま」は「我回来了」、「お帰りなさい」は「你回来了」と言います。「我回来了」を直訳すると、「私は帰って来た」という意味、「你回来了」を直訳すると、「あなたは帰って来た」という意味になります。

日本では、「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえりなさい」は当たり前に言いますが、中国ではそもそも言う習慣がないので、これらの言葉を習慣的に言うようにさせるのは難しいです。日本人と結婚しない限りは(笑)

日本では昨今、家族間の関係が希薄になってきていますので、最近は「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」という言葉も言わなくなってきているのではないでしょうか。

せっかく、日本にはこのような家族間の関係を大切にする素晴らしい挨拶言葉がありますので、この古き良き日本の伝統の言葉をこれからも大切にしていってもらいたいと思う今日この頃です。

いただきます/ごちそうさまで

した

日本ではご飯を食べる前に「いただきます」、ご飯を食べた後に「ごちそうさまでした」と言いますが、中国では、このような言葉を言う習慣もありません。

そのため、これらの言葉を中国語に翻訳することができませんので、日本の学校の給食の様子を見せると良いです。

あえて中国語に翻訳すると、「いただきます」は「我开始吃」、「ごちそうさまでした」は「我吃好了」と言います。「我开始吃」を直訳すると、「私は食べ始めます」という意味、「我吃好了」を直訳すると、「私はしっかり食べました」という意味になります。

中国語ではこのようにしか翻訳できませんので、やはり、なぜ日本人が「いただきます(頂きます)」、「ごちそうさまでした(御馳走様でした)」と言うのかを説明すると良いと思います。

「頂く」という漢字は「頂上の頂」であることからもお分かりいただけるように、神様が与えてくださった物を頭の上よりも高い位置で、頂戴するという意味から来ています。

「いただき(頂きます)」は「食べる」の謙譲語でもあります。昔の日本人は食べ物は全部神様が与えてくださった物だと考えていました。ですから、神様が与えてくださった物を頂くということで、ご飯を食べる前に、「いただきます(頂きます)」と言って、神様への感謝の気持ちを表していました。

 

今は神様への感謝の気持ちを表すとともに、私が生きるために、動物や植物の尊い命を頂きますということで、動物や植物が私が生きるために犠牲になってくれたことへの感謝の気持ちを表すために、「頂きます」という言葉が使われています。

一方、ご飯を食べ終わった後に言う「ごちそうさまでした」を、漢字で書くと「御馳走様でした」になります。では、どうして「馳」(馬に乗って早く行く)、「走」(走る)の漢字を使うのでしょうか。

その理由は、昔は冷蔵庫のような便利なものはありませんでした。ですから、お客さんが突然来たとき、どうしたかといいますと、そのお客さんをもてなすために、新鮮な食材を買いに行かなければなりませんでした。

お客さんを待たせたら申し訳ないですので、主は馬を使ったり、走ったりして、大急ぎで食材を買いに行きました。食材を買った後は、また、馬を使ったり、走ったりして、大急ぎで家まで戻りました。

家へ戻った後は、大急ぎで料理を作りました。ですから、お客さんは、主のそのおもてなしに感謝するために、馳走の前に「御」、馳走の後ろに「様」をつけて、「御馳走様でした」と言うようになりました。美味しいものを「御馳走」と言いますが、それもここからきています。

現在は冷蔵庫がありますので、馬を使ったり、走ったりする必要はなくなりましたが、しかしながら、今もお母さんなどがスーパーへ行って買い物をし、キッチンでも右往左往しながら、一生懸命、家族のために料理を作ってくれています。料理を作ってくれた人への感謝の気持ちを表すために、今も「ご馳走様でした」という言葉が使われています。

また、作物を作ってくれている農家のみなさん、それを運ぶ人たち、そして、それを売る人たちも、日々、汗水垂らしながら、いろいろな仕事をしてくれています。

「御馳走様でした」という言葉には、その人たちへの感謝の気持ちも含まれています。つまり、日本語の「御馳走様でした」という言葉は、その食材にかかわったすべての人への感謝の気持ちを表すための言葉なのです。

こう考えてみると、日本人は素晴らしい民族であるとともに、その民族によって作られた日本語も素晴らしい言語だなとつくづく感じます。きっと、日本人の相手を思いやる気持ちは、この民族性やそれをもとに作られた言語から生まれてきたのではないでしょうか。

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