「上手/得意」と「下手/苦手」の使い分け
中国の学生たちにとっては「上手/得意」と「下手/苦手」の使い分けがとても難しいようです。
学生たちはよくこんな言い間違いをしてしまいます。
私は国語が上手です。×
私は体育が下手です。×
学生はよく教科にも「上手/下手」を使ってしまいます。
こちらの学生の王さんも川端先生の教えに反して、「私の数学はとっても下手です」(4分32秒~)と使ってしまっています(笑)。正しくは「私は数学がとっても苦手です。」です。
私は国語が上手です。× 私は国語が得意です。〇
私は体育が下手です。× 私は体育が苦手です。〇
このように「得意/苦手」を使わなければなりません。
なぜなら、「上手/下手」は教科のような抽象的なものには使うことができないからです。
私は作文が上手です。〇
私は卓球が下手です。〇
「上手/下手」は教科のような抽象的なものには使えませんが、このように具体的なもので、技術的なものを伴うと、使えるようになります。作文は国語の教科の中の具体的なもので、技術的なものを伴いますし、卓球も体育の教科の中の具体的なもので、技術的なものを伴います。
私は英語が上手です。
こちらの文は英語を教科として捉えている場合は非文になりますが、英語を教科ではなく、英語の会話などのように具体的なもの、技術を伴うものとして捉えている場合は正しい文になります。
ただ、「上手」については自分のことを述べるときに使うと、聞き手に自慢しているような印象を与えてしまうため、謙遜を美徳とする日本人にとっては1人称で使うのを極力避けているように思います。
しかしながら、文型練習では「私は~が上手です」で練習することが多いため、そのせいで、学生たちはよく「私は~が上手です」と聞き手に向かって、言ってしまっています。そのため、日本人がそれを聞くと、きっと鼻につくのではないかと思います(笑)
ですから、日本人との間で軋轢を生まないためにも、「上手」を使うときは2人称や3人称を主語にして使うように指導する必要があります。なぜなら、「上手」は相手に人と比較して、優れていることを伝えたいときに使われる言葉だからです。つまり、他人のことを褒めたいときに使う言葉であると言えます。
「上手」は人と比較して、優れていることを相手に伝えたいときに使われる言葉であるため、客観的であると言えます。そのため、「上手」は見たり、聞いたりして、その技術がわかる具体的なものにだけ使われます。例えば、「彼は絵が上手です。」とか「彼女は歌が上手です。」などです。
ですから、「上手」は見たり、聞いたりできず、技術的な判断が下せない抽象的なものには使えないのだと思われます。例えば、「彼は国語が上手です」とか「彼は体育が上手です」などです。
一方、「下手」の場合は日本人は謙遜を美徳としていますので、1人称でもよく使われています。逆に、「下手」を2人称、3人称を主語にして使ってしまうと、聞き手に侮辱しているような感じを与えてしまいますので、2人称、3人称では使わないように指導する必要があります。
「上手」「下手」を使って文型練習するときは「上手」は三人称を主語にして、「〇〇さんは~が上手です」で、「下手」は「私は~が下手です」で練習すると良いと思います。つまり、これは相手へのゴマすり練習、自分へのへりくだり練習になります(笑)
自分の自信があることを述べたい場合は「得意」を使います。
私は家庭科が得意です。
私は料理が得意です。
「得意」の場合は客観的に人と比べてどうこうではなく、主観的(自分基準)で自信があることを述べるときに使われます。ですから、「得意」は「上手」とは違って、聞き手に対して使っても、鼻につかないと言えます。
ですから、面接では「上手」ではなく、「得意」がよく使われているのだと思います。ただ、「得意」と言っているのに、「上手」ではなかったりしたら、鼻につかれると思いますが(笑)。ですから、日本人は「得意」もあまり使わないのではないかと思います。かくいう私も「下手」「苦手」はよく使いますが、「上手」「得意」を使って、自慢したことはぜんぜんありません。
このことを社会言語学的観点から分析すると、謙遜を美徳とする日本社会が言葉の使い方までを支配していることがよくわかります。やはり謙遜を美徳とする日本社会が消極的で自己主張を避ける日本人を作り上げてしまったのかもしれません。
ちなみに、私は採用面接で「何の教科を教えられますか」と聞かれたら、迷わず
私は古文を教えるのが得意です。
と答えて、即採用されています(笑)
中国では古文を教えられる先生はとても重宝がられます。なぜなら、中国の大学では中国人の先生が教えたくない科目(特に古文)を外教に振り分けるというシステムが構築されているからです(笑)
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