私の将来の夢
私は中国の大学で働いているうちに、将来の夢ができました。その夢とは教え子と同じ大学で働くことです。まだ残念ながら、この夢は達成できていないのですが、いつかこの夢を実現させたいなと思っています。
というのも、私の教え子の中に大学を卒業後、大学院へ進学し、その後、大学の日本語学科の先生になった学生が何人かいるからです。ですから、私はいつか自分の教え子と同じ大学で同じ日本語教師として、働いてみたいという思いが日に日に強くなってきました。やはり教え子が自分の同僚になることは、この上なく嬉しいことですので。
世の中は狭い
私のかつての教え子に大学院に通っている学生がいます。その学生に仲が良いクラスメートがいるのですが、なんとそのクラスメートの学生も、実は私のかつての教え子だったのです。
どうやら二人は大学時代の外教の話になったときに、同じ外教に教わっていたということで、それをきっかけに意気投合したようです。ですから、私がこの二人の縁を結び付けたと言っても、過言ではありません(笑)。この話を聞いて、ほんと世の中って、狭いんだなとつくづく感じました。
またかつて世の中はほんと狭いなと感じた出来事がありました。それは街を歩いていたときに、偶然かつての教え子に会ったことです。しかも、彼女が卒業してから、数年後に他の都市でばったり会いました。
中国はこんなに広いのに、もう1度会えたのはほんと運命的というか奇跡だと思います。どうして彼女ともう1度会えたのかと言いますと、私が働いている大学のある都市が彼女の故郷で、彼女は卒業後、自分の故郷へ帰り、働いていたからです。
有名大学の場合は、全国各地から学生が集まって来ていますので、勤務先が変わっても、他の都市で、教え子とたまたま偶然出会えることもあります。
ただ、学生は私を覚えていても、私は学生を忘れてしまっていることが多いのですが。なぜなら、学生にとっては日本人外教の先生は少ないですので、記憶に残りやすいのですが、私にとっては学生が大勢いますから、かなりインパクトが強い学生ではないと記憶に残っていないと言いますか。
本来であれば、全員の学生の顔と名前を覚えておくことがプロの日本語教師のあるべき姿だと思うんですが、いかんせん私は。。。
それから、街で出会うパターン以外では、たまたま教え子の勤務先で出会うこともあります。教え子たちはみんな日本語を学んでいますから、大学を卒業後、社会人として、いろいろな舞台で、活躍していますので。
例えば、教え子が空港の職員として、空港で働いていたり、中には、客室乗務員になっており、日本へ向かう飛行機の中でばったり出会うということもあります。
このようにかつての教え子の働く姿を目の当たりにできるのも、日本語教師のとても大きな魅力のうちの1つです。
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