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中国の大学の初任校に赴任したときの苦い思い出

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中国の大学の初任校に赴任したときの苦い思い出

私が初めて中国の大学に赴任したときは、右も左もわからない状況でしたので、精神的にも肉体的にも、ほんときつかったのを今でも覚えています。

中国と日本は生活環境が全く違いますし、食習慣も全く違いますのです、初めの頃はかなりストレスが溜まりました。中でも特に、言語面でストレスが溜まりました。体は大人なのに、話す中国語は赤ちゃんレベルでしたので、伝えたいことを伝えられない、あのもどかしさが心にも体にも突き刺さりました。

それとともに、大学で日本語を教える経験も初めてでしたので、初任校での授業は最悪で、毎日授業をするたびに、学生に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

もし私ではないベテランの先生が教えていれば、彼女たちの日本語のレベルはどんどん上がっていたのではないのかと、マイナス思考で考えてばかりいました。それが更にストレスへの追い打ちを掛けました。

その中でも、今でも忘れられないことがあります。それは初任校の大学の日本語学科の主任に言われた一言です。

初任校の大学は会話の教科書がありませんでした。今思えば、教科書がないのは教科書に縛られず、自由に教えられるので良いと思えるのですが、しかし、あの当時の私は、大学で教えた経験がありませんでしたので、何を教えて良いのかわからず、とても困っていました。そりゃそうですよね。教科書がないのですから。まるで台本なしで、ドラマの撮影に臨んでいるような感じでした。

それで、困っていた私はアルクから出版されている「日本語の教え方ABC」という本をもとに授業をしました。この本は日本の日本語学校で行われているような文型を提示して、教えるやり方が詳細に載っています。ただ、それが私と学生たちとの間に軋轢を生んでしまう結果になってしまいました。

日本の日本語学校の場合は文型を教える時、一から丁寧に導入していきますが、しかし、中国の大学の場合は中国人の先生が文法を担当していますので、日本人教師がそのように文型の導入を一から丁寧に教えたとしても、それは時間の無駄になってしまうのです。

なぜなら、もう学生たちは習っているからです。また、一から丁寧に教えると、時間の無駄になってしまうばかりか、学生たちも小学生と同じように扱われていると思い、馬鹿馬鹿しく感じてしまうこともあります。

そのため、私は主任の先生から「先生の授業は時間の無駄ですから、違うことをやってください」と言われてしまいました。おそらく、学生たちは直接私には言えなかったので、主任の先生を通じて、私の授業に抗議したのでしょう。

そう言われたとき、私はかなりショックで、日本語教師を続けて行く自信がなくりました。そりゃそうですよね。自分が良かれと思ってやっていたことが、悪かったのですから。

中国の大学の日本人教師の授業での役割

主任の先生にそう言われてから、私は中国の大学の日本人教師の授業での役割は何なのかをずっと考えました。

私が導き出した答えは中国人の先生の授業ではできないことをすることでした。それは「たくさん質問して、たくさん話させる」授業をすることです。つまり、中国人の先生が教えた文型を問答法を通して、定着させることが日本人教師の授業での重要な役割なのではないのかと気づきました。

せっかく大学に日本人教師がいるのですから、会話の授業で、会話の基本中の基本である言葉のキャッチボールをやらず、何をやるんだと思うようになりました。

その後、私の授業は180度、いや360度変わりました(笑)。今の私の会話の授業のモットーは学生に質問して、自分の言葉で、答えさせるようにすることです。

例えば、合コンの質問タイムのように(笑)、「趣味は何ですか」とか「どんな人がタイプですか」と聞いた後、それを深く掘り下げていく質問をしています。「どうしてそれが趣味なんですか」とか、「どうしてそのような人がタイプなんですか」とか。

つまり、私は授業中、どちて坊やならぬ、どちて先生に変身します(笑)。なぜなら、「どちて」「どちて」を交えながら、質問に答えさせているからです。

私は学生が日本語を聞いたり、話したりして、日本人とコミニケーションできる喜びを感じさせられるような授業をいつも目指しています。これがまさしく本来の会話の授業のあるべき姿なのではないかと最近強く思うようになりました。

ですから、文法を教えるのではなく、質問をしながら、学生の発話をたくさん引き出せるような授業をすることが中国在住の日本人教師に求められていることなのではないかと思います。

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