中国の学生はなかなか○○
中国の学生は授業を休むとき、事前に微信やメールなどで連絡をくれることが多いです。
例えば、「先生、今日体調が悪いので、授業を休みます」のような感じです。その後に「すみません」という言葉があります。
このように中国の学生はなかなか律儀なんです。授業へ行くのも行かないのも高い学費を払っている学生側の権利ですので、別に連絡をくれる必要も全然ないですし、別に謝る必要も全然ないのですが。
私が大学生のとき、授業を休むからと言って、先生に連絡したことなんて一度もありませんでしたし、ましてや連絡しなければならないと思ったことも一度もありませんでした。
大学の場合は授業を出席するのも欠席するのも学生の自由ですので、私の場合は面白い授業であれば行きましたし、つまらない授業であれば行きませんでした。
しかしながら、中国の大学の場合は高校と同じくクラス単位ですので、大学側の管理がとても厳しいため、そういうわけには行きません。
例えば、病気などで授業を休むときはクラスを管理している班主任の先生に許可をもらい、欠席届にサインしてもらわなければなりません。それを後日、担当の先生に提出するような感じになっています。
また、大学によっては授業前に大学の職員が人数を確認しに来る大学もあります。
ただ、そうはいうものの、中には無断で授業を休む学生もいますが。
学生は休講になると相当喜ぶ
このように中国の大学は管理が厳しく、自由に休むことができませんので、授業が休講になると、学生たちは相当喜びます。
私も実際に見たことがあるのですが、班長に他の先生の授業の休講メッセージが来て、班長がそれをクラスのみんなに伝えたとき、クラスのみんながすごい声をあげて、喜んでいるのを目の当たりにしてしまったことがあります。
私はこれを見て、「教師という職業って、いったい何なんだろう。学生のために、一生懸命授業をしているのに、その授業が必要とされていなかったとは」と思ったことがあります。こうも喜ばれちゃ、自分の存在意義について、改めて考えてしまうと言いますか。
また、私は学生にこう言われたこともあります。「先生、今日の授業は日本のアニメか日本のドラマを見ましょう」と。そう言われたときも「教師という職業って、いったい何なんだろう。学生のために、一生懸命授業をしているのに、その授業が必要とされていなかったとは」と思ってしまいました。
やはり休講の喜びを休講の悲しみに変えられるような、日本のアニメやドラマの楽しさに打ち勝てるような授業をすることが大切だなとつくづく感じています。
そのためには、やはり自分の授業力を磨かなければなりません。なぜなら、日本のアニメやドラマは日本語教師にとって、到底太刀打ちできない巨大なライバルですので(笑)。ただ、それを凌ぐような授業をするのは神様でも無理なのではないかと思います(笑)
「なかなか」という言葉
「なかなか」という言葉は中日辞典では「相当、很、非常」と訳されているのですが、しかしながら、私はこの訳にはとても違和感があります。
「彼の日本語はなかなか上手です」
「なかなか」を辞典で調べてみると、「物事の状態・程度が予期した以上であるさま」と書いてあります。ですから、彼のクラスメートの1人が「彼の日本語はなかなか上手です」と言った時にはその文の中には「彼は私ほどではないけど、日本語が上手だ」というニュアンスが含まれているのではないかと。つまり、「なかなか」は上から目線的な言い方なのではないかと思うのです。
「なかなか」は漢字で書くと、「中中」です。ですから、「なかなか」は「とても良い」というよりも、「中の上」というニュアンスがあるのではないかと。
ですから、「なかなか」は中国語では「挺~的」の訳のほうが良いのではないかと常日頃思っているのですが。つまり、「彼の日本語はなかなか上手です」は「他的日语相当好」ではなく、「他的日语挺好的」のほうが良いのではないかと。
授業中、これを説明しないで、「なかなか」は「相当、とても、非常に」と同じ意味だと説明してしまうと、日本人と交流したときにちょっとした軋轢を生んでしまう可能性もあるのではないかと思います。
例えば、相手が作った料理に対して、「なかなか美味しいです」と言ったとします。ただ、相手はこの言葉を聞いても全然嬉しくないのではないかと思います。むしろ、それほど美味しくないのではないかと感じてしまうのではないかと。
ですから、人を褒めるときは「なかなか」ではなく、「とても」を使ったほうが良いと教える必要があるように思います。
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